江戸時代後期、箱根権現の別当如実は、箱根八里を往還する旅人や馬に、湯茶や飼葉を施し、大変喜ばれていましたが、資金が続かず行き詰ってしましました。 如実は、江戸呉服町の加勢屋与兵衛らの協力を得て、施行の断続を幕府に願い出、文政7年(1824)、ようやく許可がおりました。 再開に当たって新しく設置する施行所を畑宿と須雲川に希望していましたが、2ヶ所とも立場であるため、許可されず、東坂は割石坂のこの辺りに、西坂は施行平に設置されました。
接待茶屋説明
近年まであった接待茶屋