明治元年7月27日明治天皇江戸を東京と改め、帝都を東京に移すと詔す。この年9月20日天皇内侍所(今日の宮中賢所)を相具し奉りて、京都御発輦諸官3300人を従えて陸路東海道を東京へ向かわれた。下って10月12日朝、神奈川駅御発輦川崎梅屋敷にて御小憩の後、午後3時頃、当荏原神社に御着輦本社幣殿に内侍所を拝殿に御羽車と御奉安遊ばされた。翌明治2年3月27日、明治天皇御再幸の節も内侍所を当社に御奉安せらる。この両度の内侍所御奉安所に使用せられた建札はじめ菊花御紋章の高張提灯その他調度品を当社に御下賜せられ今日に至るまで用いられている次第である。明治5年京都に在せし英照皇太后東京へ行啓の際、明治天皇は御出迎えのため御通輦の途次、当社をもって御休殿に充てられし事は重なる光栄とするところである。

 品川拍子は祭礼時に神輿が巡行する際の囃子となる音楽で、大拍子と呼ばれる締め太鼓と、俗称トンビと呼ばれる篠笛によって演奏される。その由来は定かではないが、荏原神社では昔から鳳輦(ほうれん)(現在は御羽車)に神面と大拍子を付け「天下泰平・五穀豊穣」と叩きながら氏子地域を回ったのが始まりといわれ、品川宿で成立し、当宿とその周辺地域にのみ伝承されている。現在伝えられている品川拍子は、明治初年に嶋田長太郎が集大成したものとされ、初代家元と考えらている。
 宝暦元年(1751)に始まる神輿の海中渡御で有名な「荏原神社天王祭」は、6月7日に近い日曜日を中心に行われるが、このとき神輿の上げ下ろしや、揉んだり差したり納めたりの動作を品川拍子で指示するなど、他に類例を見ない特色を持っている。
  (品川区教育委員会)

恵比寿神

明治天皇内侍所御奉安所史跡碑

旧鎮守橋の親柱

明治天皇御東幸内侍所奉安所碑

御神木の寒緋桜

拝殿に掛かる荏原神社の扁額

舞殿

品川拍子の説明

御神木の寒緋桜

阿形の狛犬

吽形の狛犬

目黒川に架かる鎮守橋

荏原神社社標

手水舎

荏原神社拝殿