初花ノ瀑碑
「夫勝五郎の仇討本懐祈願の為め初花が垢離を取った滝として傳へらる」 と刻まれている。
いざり勝五郎 車に乗せて
引くよ初花 箱根山
これは那須町近在の田植え歌であり、盆唄でもあり、追分でもあり、誰もが知っていて、唄った歌である。また、酒宴の興にのって、中村歌右衛門もどきの声音を張り上げて、�「ここら辺りは山家故、紅葉のあるのに雪が降る」
という、いまでこそ知る人も少ないが、ラジオもない明治から大正の懐かくも忘れがたい 「初花」 の台詞である。
「いざり勝五郎」 ― 歌舞伎名題 「箱根霊験いざり仇討」 という芝居は、寄居大久保にも深い関係があって、我が里には、ことさらに近しく親しく迎えられたのである。
奥州街道はこのあたりのさびしい山道である。暮れかかる崖下の道辺に旅の男がしゃがみ込み、女がおろおろとしていた。山仕事を終えて帰る人が、これを助けて寄居の里へ連れてきてやり、庄屋徳右衛門に事情を話して預けた
(「芦野小誌」 には大島四郎平とある)。飯沼勝五郎その妻初花といい、兄の仇を求めて旅を続け、棚倉から豆沢を経て来たのだ。箱根権現に願かけて、どうしても仇討を遂げたいのだといったが、駈落者ではないかとも思われる
― 徳右衛門は、しかし詮索はしなかった。勝五郎は足腰が立たなかった。これでは江戸を過ぎてもまだはるかな箱根には到底行けないだろう。徳右衛門は大久保の先のところに小屋を建てて二人を住まわせてやることにした。ここなら街道往来の旅人が見える。もしかしたらその仇が通るかも知れないと、二人にも話した。二人は鍋釜を借りて、ここに住んだ。食べ物は少しずつだが、山働きの里人たちが届けてくれた。崖の隅から、きれいな清水が沸いて流れていた。初花は勝五郎の回復を日夜、神仏に祈った、が ― 思うようではなかった。足腰が立たない勝五郎は、初花が御礼かたがた徳右衛門方へ仕事の手伝いに行っている間、たまに通る旅人の中に仇を求めながら日を過ごした。手持無沙汰になると、座った岩に小柄で無心に瓢(ふくべ)を刻んだ。大小さまざまの瓢が、道の面や崖の岩肌に文様のように彫られた。湧き出る清水で洗う初花の顔はきれいで美しかった。
往来の旅人からは仇討は見つからなかった。勝五郎、初花は、ここを旅立つことにした。徳右衛門も、それがよかろうと勝五郎のために箱車を作ってくれ、小金もわずかだが初花にくれた。「わしは四郎兵衛の下司下郎。夜なべに作ったこの草鞋。足が立ったらはかしゃんせ(義太夫の語り)」
と、大島四郎兵衛は、草鞋を勝五郎に贈った。
二人は深く礼を述べ、本懐成就を誓った。勝五郎を乗せて初花が引く車が、やがて一里塚の蔭に消えた。
初花清水解説
岩下から流れ出る初花清水
奥州街道の初花清水碑
東海道に面して建つ初花ノ瀑碑