古来仲宿住民が講中となり、信仰していた新宮と称する郷社があり、春秋二季彼岸の中日を祭礼日として、講中の女子子供の多数が赤飯や煮しめなどを神前に供え、部落の安全を祈願したもので、明治末期まで当時街道の悪路でも山車を引いて、終日に賑やかな祭りをした事など、古老より言い伝えられている。また、古い東海道の絵地図にも、一山神として記されている程であった。最近この社の事蹟を研究したところ、この社は古く天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原北条氏討伐のため、大軍を率いて石垣山に一夜城を築き、本陣を早雲寺に置いた。その鬼門となったため、この社を新設太郎坊次郎坊とし、石垣神社として建立したものであり、作者不明なるも、当時の名工の作として伝えられている木製の天狗の面一対が、現在社宝として相伝されていることについても、厄除け神社とし古い伝説も明らかになって来たもので、其の利益が不明確なるも、以来仲宿に大きな災害が起きていないことである。

地元の方が境内の清掃をしていた

石垣神社拝殿内

厄除石垣神社由緒

街道右手の民家の庭先にある道祖神

仁泉月極駐車場横の竹林前の塀にある道祖神

石垣神社拝殿