永禄山宝泉寺は、永禄元年(1558)北条時長によって創建された臨済宗大徳寺派の古刹である。 
 寺は創建間もない天正18年(1590)豊臣秀吉による小田原合戦の兵火に罹って堂宇は焼失し、その際数多くの寺宝が焼失してしまった。その後三世の僧菊経によって再建されたが、のちに衰微し、12世僧仁渓によって、安政元年(1854)再建された。
 兵火の難を免れて現在寺に残されている文書が二点ある。一つは、小田原北条氏が宝泉寺に与えた禁制状で、寺の取締りについて保証したもの。他は宝泉寺の寺領の範囲を示したもので、元亀3年(1572)卯月12日に北条幻庵が裏書をしたもので、いずれも小田原市の重要文化財に指定されている。
 また本堂屋根瓦の三つ鱗紋や、寺の文書に見られるようにこの寺は北条氏との深いつながりをもつと思われる。従来から開基北条時長については出生不明とされ、小田原北条氏の系譜にも見ることは出来ないが、おそらく小田原北条氏の一門と考えられている。

風里廟

宝泉寺本堂

宝泉寺由緒

三界萬霊塔

六地蔵尊

宝泉寺本堂