文永11年(1274)日蓮聖人が鎌倉から身延山に赴く途中、5月13日当所を通り、巨石象ケ鼻 (石の形が象の鼻に似ている処からそう呼んでいた) の上に登られ、遠く房総の諸岳を望んで故郷忘れ難く遥かに亡くなられた両親を偲ばれ、回向して冥福を祈られた曼陀羅本尊を書かれ、石の宝塔を建て首題釈迦牟尼仏多宝如来菩薩を刻し、衆生済度の病即消滅を祈願された。
 その後、この地をお塔のふた親さんと呼ばれ、里人信仰を集めた。永仁元年(1293)僧朗慶日蓮の弟子がこの地に来て師の旧跡であるこの地に寺を建て、象鼻山妙福寺と命名。下総国葛飾郡中山村大本山法華経寺(末寺)同宗の人々はもとより、一般里人から礼拝されていた。
 惜しくも大正2年廃寺となり、同村蓮正寺に合併され、現在は同市板橋に移り御塔山生福寺となっております。

日蓮上人霊跡

元治元年(1864)の馬頭観音

南無妙法蓮華経標柱

南無妙法蓮華経題目碑

ふた親さん象の鼻(日蓮思親の地)