小田原用水(早川上水)は、この地早川の川水を取り入れ、板橋村は旧東海道の人家の北側を通水し、板橋見附から旧東海道を東に流水して古新宿を通り、江戸口見附蓮池に流れ出たもので、途中の所々で分水されて小田原城下領民の飲料水に供されたものである。
 この古水道は小田原北条氏時代に施設されたものと思考され、わが国の水道施設の中では初期の頃の水道と思われる。江戸時代になっても利用され、城下17町の飲料水として利用されていた。その後、上水道から下水道へと姿を変え、昭和31年市内電車の軌道撤去による国道の大改修によって面目を新たにした。なお、近年道路工事中に、江戸時代のものと思われる分水木管が発見され、その一部が市立郷土文化館に保存されている。

木喰観正の石碑

水神の石祠

明治期の板橋地区、大窪村の市川文次郎が村長の時、明治21年(1888)の小田原町との分水事件、明治29年(1896)の静岡県の深良用水との芦ノ湖の水利権を争った逆川事件、これら2つの事件の解決に尽力した功績を讃えるものである

取入口の水門

小田原用水(早川上水)取入口説明

頌徳碑