推定樹齢400年のイチョウの大木

本堂左の南無阿弥陀仏碑

境内社の杉森稲荷社

不動堂

 この碑は、天保の大飢饉で亡くなった人たちを祀る供養塔である。天保4年(1833)に始まった天候不順は、その後数年におよび、多数の餓死者を出した。品川宿には、農民などから流浪してくる者が多く、この附近で病や飢餓で倒れる人が891人を数えるに至った。これらの死者は、法禅寺と海蔵寺に葬られた。本寺には500余人が埋葬されたという。
 初めは円墳上の塚で、この塚の上に、明治4年(1871)に造立の流民叢塚碑が立てられていた。昭和9年(1934)に境内が整備された折、同じ場所にコンクリート製の納骨堂が建てられ、上にこの碑が置かれた。
 碑の正面には、当時の惨状が刻まれており、天保の飢餓の悲惨さを伝えると共に、名もない庶民の存在を伝えている。
  (品川区教育委員会)

本堂前の布袋尊像

聖観世音菩薩・地蔵菩薩等の石仏

納骨堂の上に建つ流民叢塚碑

流民叢塚碑説明

本堂右の如意宝珠の塔

子育地蔵尊