大久寺(現在日蓮宗)は、徳川家康の重臣であった小田原城主大久保忠世が、天正19年(1591)に開基(寺を建てた人)し、僧の日英が開山(寺を開いた僧)した大久保氏の菩提寺です。
墓石は、正面向かって右から大久保忠常の墓、大久保忠隣の墓、大久保忠世の墓、大久保忠良の墓、大久保忠俊の墓、忠良の娘の墓の順になっています。
初代忠世の遺体の一部は、京都本禅寺に納めたといわれています。二代忠隣は、晩年流罪となり、近江国(滋賀県)佐和山石ヶ崎で死亡しておりますので、この墓は供養塔と思われます。
忠常は、忠隣の嫡男で小田原城中で死亡し、大久寺に葬られました。忠俊は、忠世の伯父で、大久保氏が小田原に移る以前の天正9年(1581)に死亡しておりますので供養塔と思われます。
大久保勘三郎と刻んである墓は、忠勝の五男忠良のことで、その娘と共に埋葬されておりますので、何か事情があったものと思われております。なお、初代忠世の墓石は、宝塔として本市の代表的なものです。
(小田原市教育委員会)
大久保一族の墓所説明
山門の中央に見えている宝篋印塔
大きな宝篋印塔
小田原北条氏の家臣山角定吉の屋敷があったので山角町となったといわれている。
本堂内陣
大久保寺本堂
山門
山角町
旧本堂の鬼瓦
大久保一族の墓
小田原駅跡
明治29年3月、熱海方面への陸上輸送路として豆相人車鉄道が開設され、早川口が小田原駅となった。大正11年12月国鉄熱海線が真鶴まで開通したことによって任務を終了した。