推定樹齢200年の御感の藤
小田原城本丸の正門で、最も大きく堅固に造られていた。常盤木とは常緑樹の意味で、門の傍にあった松の木になぞらえてその名が付いたといわれている。
天守閣へ通じる登城ルート上に設けられた二の丸の表門。扉の飾り金具に銅を使用していたことから、その名が付いたと言われている。
この木は、幹回り4.5mに及び、市内で最大のイヌマキです。主幹は左巻きにねじれ、地上5mのところで四支幹に分岐しています。
樹回り4.5mのイヌマキの大木
天保年間の相中雑誌に 「御本丸に七本松という老松・・・」 とある松の生き残りと思われる城跡内最大の巨木である。
推定樹齢400年のクロマツ
常盤木門
銅門(あかがねもん)
小田原城濠
この藤は、小田原城二の丸御殿に鉢植えされていた藩主大久保公愛玩のもので、明治維新後、市内板橋の森元氏の手に渡り、明治16年に市内唐人町(浜町)の西村氏が買い受けて育てたと伝えられています。
大正天皇が皇太子の時、小田原御用邸に滞在中のある日、西村邸の前を通過した際、召馬が藤棚の下に駆け入ったために殿下の肩に花が散りかかってしまいました。周囲の人々が恐縮していると、「見事な花に心なきことよ」
と感嘆されたことから、 「御感の藤」 と呼ばれるようになりました。