旅籠屋を営む相模屋は、外壁が土蔵のような海鼠壁だったので、「土蔵相模」 と呼ばれていました。 文久2年(1862)品川御殿山への英国公使館建設に際して、攘夷論者の高杉晋作や久坂玄瑞らは、この土蔵相模で密議をこらし、同年12月12日夜半に焼打ちを実行しました。幕末の歴史の舞台となった所です。
土蔵相模跡の標柱
土蔵相模跡の解説板