明治戦役の死没者を祀る

慰霊塔

厨子の両脇に大黒天と布袋尊が立つ

覆屋に置かれた狛犬

覆屋に置かれた狛犬

 酒匂神社の原神は、大和朝末期(650頃)大和朝から派遣された統治者が守護神として 「八幡社」 を祀ったのが最初であり、この頃、高麗民族が渡来して、先進文化、特に棚織(はたおり)を広め 「棚機社(七夕社)」 等も祀られていた。
 平安末期(1130頃)後鳥羽上皇が箱根権現に、酒匂郷48町歩を寄進した。その後、安久5年(1149)に、箱根権現の富士上人参朝が、寄進された地 「免耕地(現在地)」 に、箱根権現を勤請し 「駒形社」 を祀った。
 その駒形社についての記述は、貞和2年(1346)の 「古文書」 に小田原松原大明神と並んで酒匂駒形として初めて登場している。「新編相模風土記稿」 には天文22年(1553)7月2日に岡部出雲守廣定と酒匂郷檀那(小島左衛門太郎正吉)が、それぞれ懸仏(銅鏡)を寄進し、そこに駒形大権現と記されている。「小田原衆所領役帳」 にも北条幻庵(早雲の子)の所領として40貫250文酒匂駒形分とある。また先の 「風土記稿」 に元和7年(1621)に城主の阿部備中守正次が5石を寄進したとされている。
 その後、明治初年に始まるさまざまな神仏分離令により、近くの八幡社を、明治10年4月に駒形社の場所に移して酒匂神社とした。祭神を伊弉諾尊、伊弉冉尊。駒形社の祭神、うがや葺不合尊とさだめ、八幡社、金山社、諏訪社、十二天社、白山社、雷電社、明神社、山王社、七夕社も合祀した。
 例祭は、7月7日に駒形社・八幡社の神輿が村中を巡行していたが大正末期に4月7日に変更した。

表忠碑

厨子に安置されている木造の仏像

覆屋の中に木彫の仏像が安置された厨子がある

酒匂神社の由来

吽形の狛犬

酒匂神社拝殿

阿形の狛犬

手水舎