江戸っ子漱石は、ロンドンを舞台にした作品にも、日本橋を言挙したほどだ。
青春小節 「三四郎」、 倫理探求の名作 「こころ」 には、ここの路地の寄席や料理屋が描かれている。

 平成17年6月吉日
 早稲田大学大4代総長 奥島孝康

 江戸時代の初め、下町一帯の井戸は塩分を含み飲料に適する良水が得られず付近の住民は苦しんでいました。
 正徳元年(1711)、白木屋二代目当主の大村彦太郎安全は私財を投じて井戸掘りに着手しました。翌2年、たまたま井戸の中から一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと伝えられています。以来、付近の住民のみならず諸大名の用水ともなって広く 「白木名水」 とうたわれてきました。
 白木名水は湧出してから数百年の時を経て消失しましたが、江戸城下の歴史を理解する上で重要な遺跡です。この 「名水白木屋の井戸」 の石碑は江戸時代の呉服商を継いだ白木屋デパート、東急百貨店と続く長い歴史の後に、日本橋一丁目交差点角にあったものを平成16年(2004)ここに移設再現したものです。

漱石名作の舞台碑

漱石名作の舞台碑

名水をイメージして周囲に水が流れている

名水白木屋の井戸碑

名水白木屋の井戸説明