西長院は、 「身代わり地蔵さん」 として、多くの人達の信仰を集め、親しまれてきました。地蔵尊は行基の作と伝えられ、身の丈約50㎝の石造りの地蔵菩薩像で、はじめは切通しの岩窟の中に祀られていました。
鎌倉時代に梶原平三景時の家臣・悪太郎義景という人が、この地蔵尊を深く信仰していました。建久2年(1191)鶴岡八幡宮に参拝する源頼朝の行列に突然襲い掛かる集団があり、大乱戦となり、悪太郎義景は敵方に加わったと間違えられて畠山重忠に討たれてしましました。しかし、悪太郎の身体には刀傷ひとつなく不思議に難を逃れたのですが、この地蔵尊の身体より血潮が流れ出し、肩のところに刀剣の傷を受けたような痕がついていました。これは永年この地蔵尊を信仰していたおかげだと皆は語り合い、畠山重忠はこの刀を
「地蔵丸」 と名付け家宝として今日に伝わっているとのことです。
その後、室町時代に大住郡岡崎四郎の娘がこの地蔵尊を深く信仰し、夜更けになるまで参拝しているのを見て、悪い若者たちが待ち受け、娘の首を打ち落としてしまいました。娘は一声叫んで倒れましたが、身体に異常はなく、この場を逃れ我が家に帰り、その出来事を話すと村の人達は驚いて、この地蔵尊を尋ねました。するとこの地蔵尊の首が落ちていました。このような霊験のあることにより、人々は皆、「身代わり地蔵」
と称して元禄2年(1689)お堂を建立し、尊像安置の霊場としました。
身代わり地蔵尊の由来
地蔵尊数体
南無阿弥陀仏碑
宝永7年(1710)の南無阿弥陀仏碑
中央にヒビの入った供養塔
瀧澤翁寿碑