藤村は、明治3年(1873)2月17日、筑摩県第八大区五小区馬籠村(現木曽郡山口村神坂区馬籠)の本陣の家に生まれ、本名を春樹という。
 昭和16年(1941)1月14日、大磯のドンドン焼を見に来て珍しい郷土行事であるのを喜ばれ、これを左義長と言い始められた。
 大磯の温暖な地をこよなく愛し、その春、大磯町東小磯のこの地に住まれ、「東方の門」 の筆を起したのであった。藤村は 「一葉舟」、「夏草」 などの詩集を刊行して日本近代詩史に不滅の名を刻み他に文明批評随筆、旅行児童文学など数多くを残している。昭和18年(1943)8月21日、静子夫人が 「東方の門」 の原稿を朗読中頭痛を訴え急に倒れた。8月22日午前零時35分 「涼しい風だね」 という言葉を残して木曽の生んだ大文豪は行年71歳で永眠され、本人の希望により大磯地福寺に葬られた。

島崎藤村邸庭先

島崎藤村邸説明

島崎藤村邸