江戸時代の天保11年に幕府によって編纂された 「新編相模国風土記稿」 の中に里人の言い伝えとして、「昔、桓武天皇の三代孫、高見王の娘政子が、東国へ向かう旅をした折、天安元年(857)11月この地で逝去した。柩はここに埋葬され、墓として塚が築かれた。その塚の上が平らになったので里人はそれを 「ひらつか」 と呼んできた」 という一節があり、これが平塚という地名の起こりとなりました。このことから平塚の歴史の古さが伝わります。 (平塚市)
平塚の塚緑地
平塚由来碑
平塚碑