平塚市榎木町ホテルサンライフガーデンの敷地は、わが平塚市の文化史、経済史の上で特筆されるべき遺跡だといわれている。
大住郡公所村の大官端山家に生まれた杉山久五郎は、若い頃江戸に出て生薬を学習。縁あって杉山家を襲い、この場所で薬種商を営んで大成功を収め、子息泰助を大阪に遺し緒方洪庵に就いて医学を学ばせたという。かくて父子協力して家業の発展に努め財を成す。
また、折柄、明治の新時代を迎えて、石油と砂糖の需要の増加を予測し、馬入川(相模川)の舟行を利用して、上流各地に広く販路を拡大していった。更に陸路は馬力を利用し神奈川県中央部で石油と砂糖の大問屋となって、大成功を遂げ、豪壮な家屋を建築した。屋敷の周囲には石垣を構築。みずから
「石垣」 と称し、世間もまた 「石垣」 と敬称した。
明治6年8月30日、天皇(明治)皇后(昭憲)お二方が東海道御通行の時、ここに立寄られ休息されたのは天皇22歳、皇后24歳の時である。又、明治11年11月8日には明治天皇の再度御立寄の光栄に浴した。明治15年7月、この石垣の邸内に株式会社江陽銀行が開業したが、同行は神奈川県中央地域に於ける最初の銀行で頭取は杉山泰助、江陽の名は耕饒塾小笠原東陽の命名である。「明治天皇馬入御小休所跡の碑」
は昭和15年皇紀2600年記念に泰助の孫久吉が建立した。揮毫は子爵金子堅太郎である。
遺蹟の由来碑
遺跡の由来碑
献上銘菓処 弘栄堂
明治天皇馬入御小休所址碑
ちょんまげ最中の看板