むかし相模国府祭の日の夕暮、東海道を帰還途中の一之宮寒川神社の神輿をかつぐ若者たちと平塚八幡宮の神輿をかつぐ馬入村の若者たちが、ささいなことから喧嘩をを起し、馬入の若者たちが、一之宮の神輿を奪い取って馬入川の深瀬に投げ込んでしまうという事件が起こった。
 当時の馬入川は大変水量が多かった。この喧嘩で双方にたくさんの怪我人を出したが、相模国の一之宮の神輿に対し乱暴をはたらいた馬入村の若者たちは、代官江川太郎左衛門の厳しい取り調べを受けることになり、下手人の16名は打首断罪の判決を受けたが、処刑の日、代官はその丁髷だけを斬り落とし、打首に代えた。罪を憎んで人を憎まぬ名代官の名処置に16人はもちろんのこと村人たちは涙にかきくれたという。
 その丁髷を埋めたところに、この碑を建てたものである。

丁髷(ちょんまげ)塚

丁髷塚説明