小出川

下町屋橋

 旧相模川橋脚は、大正12年(1923)の関東大震災によって生じた液状化現象により、水田の下に埋もれていた橋杭が出現したものである。
 鎌倉時代の建久9年(1198)に源頼朝の重臣稲毛重成が亡き妻の供養のために架けた橋の橋脚といわれ、大正15年(1926)に国の史跡に指定されている。源頼朝はこの橋の竣工式に出席した帰途、義経や弁慶の亡霊に遭い、驚いて棒立ちになった馬から落ちて、その怪我がもとで亡くなったと言われている。
 この義経の霊を祀ったのが、鶴嶺八幡宮の参道口にあった弁慶塚である。

発掘作業

地中から出てきた橋脚

耕地整理記念碑

復元された橋脚

田圃から出現した当時の橋脚