弁慶塚碑

松並木の参道

鶴嶺八幡宮一の鳥居

 これは弁慶塚標柱であり、この近くに弁慶塚があるようだが、分からなかった。
 建久9年(1198)、源頼朝は相模川に架けられた橋の落成式の帰り、この辺りで義経一族の亡霊のため棒立ちになった馬から落ちて重傷を負い、翌正治元年(1199)死亡した。後年村人は義経一族の霊を慰めるため、弁慶塚を建立したと伝えられている。

 江戸時代初期、常光院の僧朝恵が荒廃した鶴嶺八幡社の再興に尽力し、徳川3代将軍家光から社領七石の朱印を得たのを記念して、約760mの参道の左右に松の木を植えたのが今に残る松並木で、市の天然記念物となり、参道は市の史跡となっている。

鶴嶺八幡宮は、長元3年(1030)源頼信の子・源頼義が下総の鎮定の折、京都にある石清水八幡宮を勧請したのが始まりと言われる。