「吾妻鏡」 という鎌倉幕府の記録によると、兄頼朝に追われた義経は、奥州(東北)で亡くなり、文治5年(1189)に藤原泰衡から義経の首が鎌倉に送られてきました。
 義経の首は、首実検ののち片瀬の浜へ捨てられました。それが潮に乗って境川をさかのぼり、この辺に漂着したのを里人がすくい上げ、洗い清めた井戸と伝えられます。
 ここから北方40m辺りに義経首塚と伝える遺跡もありました。

源義経首洗井戸

源義経首洗井戸説明

源義経史跡碑

源義経公之首塚碑

九郎尊神