日本橋の歴史は、慶長8年(1603)に家康の江戸幕府開府の際、南北の交通路として木橋が架設されて以来、幾度の変遷を経て、現在の石橋が明治44年4月に完成し平成3年4月には80才を迎えました。
 これを記念し、平成2年7月から平成3年5月にかけて広場の整備を行い、平成3年5月には完成式典が行われました。
 整備にあたっては地域の方々の意見をもとに、日本橋橋詰を都心のオアシスとして、人々の待ち合わせや地域の活性化になればと考え実施しました。
 この整備工事に合わせ、愛称を一般募集するとともに、その愛称を末永く親しんでいただくため、記念碑として保存することとしました。 

     滝の広場・花の広場・乙姫広場・元標の広場

 日本橋から江戸橋にかけての日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚や塩干魚を荷揚げする 「魚河岸」 がありました。ここで開かれた魚市場は、江戸時代初期に佃島の猟師たちが将軍や諸大名へ調達した御膳御肴の残りを売り出したことに始まります。この魚市は、日本橋川沿いの魚河岸を中心として、本船町・小田原町・安針町(現在の室町一丁目・本町一丁目一帯)の広い範囲で開かれ、大変な賑わいを見せていました。
 中でも日本橋川沿いの魚河岸は、近海諸地方から鮮魚を満載した船が数多く集まり、江戸っ子たちの威勢の良い取引が飛交う魚市が立ち並んだ中心的な場所で、一日に千両の取引があるとも言われ、江戸で最も活気のある場所の一つでした。
 江戸時代より続いた日本橋の魚河岸では、日本橋川を利用して運搬された魚介類を、河岸地に設けた桟橋に横付けした平田舟の上で取引し、表納屋の店先に板(板舟)を並べた売場を開いて売買を行ってきました。
 この魚河岸は、大正12年(1923)の関東大震災後に現在の築地に移り、東京都中央卸売市場へと発展しました。

日本橋中央の街燈

燈柱の上部にも獅子像がある

日本橋の両端にある獅子像

高札場のレプリカ

乙姫像

日本橋魚市場発祥の地碑

里程標<横浜~鹿児島>

魚が集まる竜宮城の主は「乙姫様」で日本橋に魚が集まるというイメージ像である。

東(市川團十郎)西(坂田藤十郎)の大名跡の船乗り込みから、「双十郎河岸」 と命名された

双十郎河岸碑

日本橋橋詰の愛称

日本橋魚河岸跡

日本道路元標

隣に千葉市~札幌市がある

東京市道路元標

日本橋の中央にある麒麟像