供養塔
供養塔
無名戦死之碑
戊辰戦争時、悲劇の死を遂げた遊女しげについて記す石碑で、昭和29年(1954)の建立である。
碑によれば、しげは越後国三条の生まれで、白河の旅籠坂田屋に抱えられていた。閏4月上旬に奥羽鎮撫総督参謀の世良修蔵(長州藩出身)が小峰城に入った際に世良と馴染みになったという。
しかし世良は、白河は危険と察して白河を逃れた。その脱出を助けたと疑われたしげは、世良を敵視していた会津藩士に殺害されたという。享年22歳。法名を梅質貞顔信女と伝える。
しげが殺されたと知った坂田屋の下男は会津藩士を追い、この女石の地でしげの仇を討ったという。
(白河観光物産協会)
遊女志げ女の碑
南無妙法蓮華経題目碑
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関門の址碑