戊辰戦争白河口の戦いなどにおいて活躍した仙台藩士細谷十太夫直英が率いる 「衝撃隊」 は、黒装束をまとい夜戦を得意としたことから 「鴉(からす)組」
と呼ばれるようになったという。図は、からす組の隊旗とされるものである。槍と刀を武器に夜襲をしかけ、新政府軍に恐れられた勇猛果敢な戦いぶりは、棚倉藩士の部隊
「十六ささげ」 とともに 「細谷からすと十六ささげ、なけりゃ官軍高枕」 とまで歌われたとされる。
この地は、旧奥州街道がここより仙台方面と会津街道に分岐する場所で、戊辰戦争白河口の戦いに戦死した仙台藩士を慰霊する碑などが建立されている。
(白河観光物産協会)
手水石
仙台藩からす組の旗
仙台藩からす組の旗解説
明治23年(1890)の仙台藩士戊辰戦没之碑
仙台藩士戊辰戦没之碑解説
明治2年(1869)の戦死供養塔
かつて会津街道(国道194号線)と奥州街道(国道4号線)の分岐点であったここ女石の地にあるこの碑は、明治23年(1890)、戊辰戦争における仙台藩の戦死者の慰霊のため、旧仙台藩主伊達宗基により建てらえたものである。
なお、この碑の傍らの「戦死供養塔」は、白河周辺で戦死した仙台藩士150名余を葬った墓で、明治2年(1869)の建立である。
(白河観光物産協会)