芭蕉句碑
四面に文字が刻まれた石塔
芭蕉句碑解説碑
関守の 宿を水鶏(くいな)に とはふもの
この句は俳聖松尾芭蕉が、元禄2年(1689)奥の細道の旅のおり、須賀川の相楽等躬のもとに滞在中、白河藩の俳人何云(かうん)あての書簡に、
白河の風雅聞もらしたり、いと残多かりければ、須賀川 の旅店より申つかはし侍る。
という言葉をそえて贈った句であります。
何云を関守りに見立て、白河で面会できなかった心残りを込めた挨拶の句と解されています。
この芭蕉の書簡は、出光美術館に所蔵されており、句碑の文字は芭蕉の真蹟であります。
慶応4年(1868)6月12日、隊長池田邦知ら14名の福島藩士は他の奥羽越列藩同盟軍とともに小峰城に攻撃を行ったが、六反山で討ち死にした。この14名の霊を慰めるため、明治21年(1878)聯芳寺に建てられたのがこの碑である。
発起人は福島の高橋純蔵と白河の鈴木忠蔵。碑上部の題字は旧福島藩主板倉勝達の筆である。
(白河観光物産協会)
山門
聯芳寺本堂
本堂に掛かる高岳山の扁額
手水石
卵塔・種子塔・馬頭観世音など
宝篋印塔・無縁供養塔・成田不動尊など
福島藩十四人碑解説
二十三夜塔(左)・柴田和光先生碑(右)
福島藩十四人碑