聖観世音菩薩が建つ手水石

稲荷社

永代供養墓の釈迦如来像

慶応戊辰殉国者の墓

 この墓群は、慶應4年(1868)の戊辰戦争白河方面における戦死者を祀ったもので、西軍各藩である長州藩(山口県)・土佐藩(高知県)・大垣藩(岐阜県)・館林藩(群馬県)・佐土原藩(宮崎県)各藩の戦死者が眠っている。墓は全部で116基(薩摩29、長州30、土佐18、大垣13、館林7、佐土原19)あったが、大正期に薩摩藩(鹿児島県)の墓所は小峰城東側の鎮護神山に改葬された。 戊辰戦争白河口の戦いでは、東軍(奥羽越諸藩)と西軍による大規模な戦争が行われ、合わせて千名近い戦死者を出している。東軍諸藩の戦死者の墓は、市内各所に所在している。
   (本町復起会)

長寿院本堂

本堂に掛かる長寿禅院の扁額

慶応戊辰殉国者の墓

慶応戊辰殉国者の墓

墓地口にある明治天皇東北巡幸に随行した大久保利通・岩倉具視奉納の石燈籠

慶応戊辰殉国者墳墓入口の冠木門

慰忠魂碑

山門

 碑陰には、白河口戦線へ出兵した官軍諸藩の旧藩主家=毛利・島津・山内氏や、明治政府の錚々(そうそう)たる高位顕官=大山巌・川村純義・板垣退助ら22名の氏名や爵位が発起人として列刻されている。

碑の篆額(てんがく) 「捐躬報国(えんきゅうほうごく)」 は有栖川宮熾仁親王、撰文は重野安繹、書は秋元興朝による。

観音菩薩を中心に並ぶ六地蔵尊

白河役陣亡諸士碑

碑の篆額 「悁躬報国」