この場所は、白河藩主松平定信が寛政11年(1799)に建てた郷学所「敷教舎」が置かれた場所とされます。白河藩には藩校「立教館」(寛政3年創設)がありましたが、敷教舎は「白河風土記」に「城下の庶商幼童の輩をして学問筆算教導の所」と位置づけられた庶民のための学校でした。
 敷教舎は、白河では使者請所(諸藩の使者の応接所)の敷地内に、藩領須賀川町(現須賀川市)では、郷士、相楽氏の屋敷内に設けられ、白河を「敷教第一舎」、須賀川を「敷教第二舎」と称したと伝えられます。
 授業の内容はよくわかっていませんが、資料によれば、須賀川では立教館の教授が派遣されて講釈(四書五経)を行い、手習・素読・算術等を町人や医師が担当したことが知られるので、白河でも同様の授業が行われたと考えられます。
   (白河市教育委員会)

現在地と周辺地図

敷教舎跡解説