白河藩成立以前のものと考えられる絵図によれば、かつては「久保町」であったことが確認でき、窪地であったことに由来するようです。 現在の町名は寛永4年(1627)に丹羽長重が初代白河藩主となった後の時期に描かれた絵図にみられ、長重が行った小峰城の大幅な改修のために集められた大工たちが住み、町の名になったと考えられます。 「白河風土記」(1805年完成)によれば、家数は61軒とあります。 (白河市)
大工町解説
現在地と周辺地図