小峰城跡は、慶長年間頃に城郭及び城下の骨格が整備され、寛永4年(1627)の白河藩成立後は、初代白河藩主丹羽長重によって屋敷地の拡張が図られるとともに、石垣を多用した城郭に改修されました。
 城郭の改修と合わせて、奥州街道沿いに城下町も形成され、商人や職人が居住して大きな賑わいを見せていました。
 城下町は「通り五町」と呼ばれた天神町・中町・本町・横町・田町を中心とし、これに並行して南東側に裏町が配置されていました。
 記録によれば、寛文年間(1661-73)の白河城下の町人は7千5百人余りで、武家人口と合わせた城下の総人口は1万5千人程と推定されます。福島県内では、会津若松城下に次ぐ規模を誇っていました。
 市街地には、多くの歴史遺産とともに、当時の奥州街道を中心として町割りが非常によく残されており、今も城下町の姿を偲ぶことができます。
   (白河市教育委員会)

現在地と周辺地図

奥州街道と白河城下解説