天神町の南側に並行する町で、「白河風土記」(1805年完成によれば家数が28軒と記されています。
 白河藩が成立する前の状況を描いていると考えられる城下町絵図には 「鉄砲町」 とも記されています。このことから 「金屋町」 も名は、初代白河藩主丹羽長重の入封以降と考えられ、城郭や城下町の改修・整備の際に、金物職人がこの地に集められたためと推測されます。
 現在、新町(一番町)に抜ける道がありますが、これは明治35年(1902)に開通したものです。江戸時代には法雲寺があり、徳川家康像が祀られていたと伝わります。
 また、幕末の町絵図には妙関寺の裏手に水車が記され、近年行われた発掘調査によりその跡が確認されています。

金屋町解説

現在地と周辺地図