長州大垣藩戦死六名墓解説

長州大垣藩戦死六名墓

明治41年(1876)9月皇太子(大正天皇)行啓碑

 慶応4年(1868)閏4月25日、新政府軍が白河を初めて攻めた際に戦死した、長州藩士(三名)と大垣藩士(三名)の墓である。
 当初は、薩摩藩兵七名も埋葬されており、「薩長大垣戦死十三人之墓」 と刻まれていたが、薩摩藩が大正4年(1916)に小峰城東側の丘陵(鎮護山)に戦死者を合葬したため、現在の姿となった。
 明治9年(1876)6月に明治天皇が、同41年9月には皇太子時代の大正天皇が立ち寄り、戦死者の霊を弔った。
   (白河観光物産協会)