地蔵菩薩立像

 三基の石塔は、中央が吉次、左が吉内、右が吉六の、いわゆる 「金売吉次三兄弟の墓」 と伝えられています。
 石塔は、白河石(安山岩質凝灰岩)で作られた宝篋印塔ですが、後世に積み替えられたため、別種の石造塔の一部が混じっています。祈年銘などがみられず、明確な製作年代は特定できませんが、製作技法の特徴から室町時代頃の建立とされます。
 承安4年(1174)吉次兄弟が砂金を交易して、奥州平泉と京とを往来する途中、ここで群盗に襲われて殺害され、里人がそれを憐れみこの地に葬り供養したと伝えられています。また、後に源義経がここに立寄り、吉次兄弟の霊を弔い、近くの八幡宮に合祀したと伝えられています。
 石塔の石囲いは、元治元年(1864)7月の建立です。この三基の石塔は、本来の形状を完全には留めていませんが、土地の人々から 「吉次様」 の墓として信仰されてきた石造文化財です。
  (白河市教育委員会)

小社に安置された石仏

八幡宮脇の杉林の中の道

途中右手にある小社

大正10年(1921)の吉次兄弟紀念碑

昭和16年(1941)の石燈籠

左から吉内、吉次、吉六の墓

金売吉次兄弟の墓解説

元治元年(1864)に施設された石囲い