街道を挟んで建つ二十三夜塔
文政8年(1825)の石仏
庚申供養塔
大正5年(1916)の金売吉次兄弟古墳碑
文久2年(1862)の十九夜塔
弘化4年(1847)の十九夜塔
皮籠村旧名芦野宿と云う。八幡神を祭るは、天喜年中(1053-57)陸奥守源義家朝臣下向の時、八幡大神大幡此処に建て人馬の労を少時休むるに白鳩一双来りて旗上に舞ければ、任国に入るの吉瑞なりと、木切、草を結て神祭せし給うより土人国司の仁恵を仰ぎ社殿を建て永に鎮護を祈る。
年経て治承年間(1177-80)強賊藤沢太郎入金売吉次兄弟を害し分散せり。其の包める皮葛籠を捨て置けるに依り皮籠村と云う。今福小金橋小金田分田の字名は金銀配分せる処なりと云う。吉次の霊魂土人の崇むること狂けるにより八幡祠へ合祭し相殿とす。吉次の墓は社を通る西三丁に石碑あり。馬士墓とて十三墳と云わる古碑字石等に寄る口碑に録す。
八幡宮本殿
八幡宮鳥居
八幡宮拝殿
(左面) 従是三丁 皮籠有志一同
八幡宮由緒
常夜燈