旧奥州街道に面して、陸奥(福島県側)と下野(栃木県側)の国境を挟んで境の明神が二社並立している。陸奥側の境の明神は、玉津島明神を祀り、下野側の明神は住吉明神を祀っている。
境の明神の由緒は不詳であるが、文禄4年(1595)に当時白河を支配していた会津藩主蒲生氏が社殿を造営している。現存するのは弘化元年(1844)に建てられた小祠である。
奥州街道は五街道の一つで、奥州・越後などの諸大名が参勤交代で通行し、旅人や商人などの往来も盛んであった。このため道中の安全を祈ったり、和算額を奉納したり、燈籠や碑の寄進なども盛んに行われている。
境内には、越後新発田藩溝口家や南部藩士などが寄進した燈籠が並び、松尾芭蕉の「風流のはじめや奥の田植え唄」などの句碑や歌碑も多く建立されている。神社北側の杉林は、別当寺であった和光山豊神寺の跡地で、神仏習合の名残をとどめている。
玉津島明神(女神・衣通姫)と住吉明神(男神・中筒男命)は、国境の神・和歌の神として知られ、女神は内(国を守る)、男神は外(外敵を防ぐ)という信仰に基づき祀られている。このため、陸奥・下野ともに自らの側を「玉津島を祀る」とし、反対側の明神を「住吉明神を祀る」としている。
(白河市教育委員会)
吽形の狛犬
風流の はしめや奥の 田うへ唄
降やちるや ふり来や雪の 吹敷や
阿形の狛犬
天保12年(1841)の石鳥居
神門
能因の うはきも井出 蛙かな
萍(うきくさ)に 小町のうき名 聞日哉
花は根へ 戻りて木々の 照葉かな
紙子着た 人ハ上座に 雪見かな
金比羅神社順拝塔
島谷栄吉句碑
大江丸句碑
奉はせを塚
卯の花や 清水がすえの 里つゝき
能因に くさめさせたる 秋はこゝ
佐久間朴斎句碑
芭蕉句碑
文化11年(1814)の石燈籠
文禄4年(1595)の住吉神社本殿
天満宮
稲荷社
境の明神解説
文化8年(1808)の江戸京橋近江屋周治郎奉納手水石
神門に掛かる境明神社の扁額
住吉神社拝殿
寛政2年(1790)、天保12年(1841)、元治元年(1864)、宝暦5年(1755)などの石燈籠、