明治2年(1869)の常夜燈
謡曲 「遊行柳」 は、その昔諸国巡歴の遊行上人が、奥州白河の関の辺りで老翁に呼び止められ、「道のべに清水流るる柳かげ」 と西行法師が詠じた名木の柳の木の前に案内され、そのあまりにも古びた様子に、上人が十念を授けると老翁は消え去った。
夜更け頃、更に念仏を唱えて回向する上人の前に烏帽子狩衣の老翁が現れて遊行上人の十念を得て非情の草木ながら極楽往生が出来たと喜び、幽玄の舞を通して念仏の利益を見せる名曲である。
朽木柳については、宗祖遊行上人が芦野巡化の時、使用の杖が根付き 「朽木柳」 「枯木柳」 と呼ばれる巨木になったとの伝説がある。
星移って遊行19代尊晧上人巡化の折、老翁姿の柳の精が出現して上人を案内したとのいわれから、やがて 「遊行柳」 と呼ばれるようになったという、何代も植え継がれて来た。
謡曲 「遊行柳」 と朽木柳解説
遊行柳由来碑
柳散 清水涸石 処々
(柳散り清水かれ石ところどころ)
蕪村句碑
田一枚 植えて立ち去る 柳かな
遊行柳解説
遊行柳
遊行柳
芭蕉句碑
諸文献によると、朽木の柳、枯木の柳、清水ながるるの柳ともいう。伝説によると文明の頃(1471)時宗19代尊晧上人が当地方巡化の時、柳の精が老翁となって現われ上人から十念と念仏札を授けられて成仏したという。
いわゆる草木国土等の非情物の成就談の伝説地である。後、謡曲に作られ、又種々の紀行文に現われ芭蕉、蕪村等も訪れたことは余りにも有名である。老樹巨木の崇拝仏教史的発展、文学や能楽の展開等に関する貴重な伝説地である。
(那須町教育委員会)