優しい比丘(出家したお坊さん)の姿をしたこのお地蔵さんは、昔から人々の暮らしの中で広く親しまれてきた六道能化(人々が善悪の業によりおもむき住む地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天の六道の人たちを教化・救済する菩薩)の仏様である。
 縁日は、7月23日の地蔵盆に行われる。女人講で今も子供会育成会と一緒に行事が執り行われ、香花が供えられている。昔はこの広場で盆踊りも行われていたという。
 造立は、享保2年(1717)である。仏本来の功徳を願うと同時に国家安全・領主の子々孫々の繁栄、そしてこの地蔵尊をお祭りし、お参りする人々の良縁を願って立てられたものである。 開眼の導師は、保寧山建中寺住職であった。
 しかし、人々は自分たちの身近な現世利益、功徳をこの地蔵尊に求めたようである。 すなわち女性の安産や嬰児幼児の死後供養、身体安全、病気の平癒、長寿や知恵を授かること、経済が豊かになること、朗かな心や農作物の豊作を得ること、 そして神仏の加護と死後は極楽へいけることなどである。
  また、ここ地蔵尊の立てられている位置は、奥州街道芦野宿の町外れで、城下・宿場の入り口(出口)になる。 このことから河原町の地蔵尊と考えあわせ、種々の災厄を自分たちの生活の域内に入れない役目もあったと思われる。 また、旅人の道中安全や旅の途中でなくなった人の供養も行われたことは想像に難くない。
  このように、人々の様々な願いを一手に引き受けながらも、いやな顔もされずほほえみかけるお地蔵様をこれからも大事にしていきたいものである。

享保2年(1717)の新町地蔵尊

新町地蔵尊の向い筋奥にある墓石

文化12年(1815)の二十三夜塔・文化元年(1804)の三界萬霊塔・大乗妙典一千部供養塔

墓石の後ろに3基の馬頭観音がある。

新町地蔵尊由来