大字芦野字若林にあり、上野町と唐木田の中間、三王平と呼ばれる所の東方、山林中腹にある。
 伝承によると、芦野氏の祖、余一宗隆七世の孫、加賀守資忠の三男・資方より資泰に至る18代の墓域といわれている。
 銘文のあるものは、寛永19年塔(1642、白露院殿塔)、正保3年塔(1646、資泰塔自然石)、同年五輪塔(月皎院殿塔)、延宝3年塔(1675、昌寿院塔、資俊母)などである。このほか五輪塔が4基点在する。
 新町建中寺の墓域が19代資俊からのものであるのに対し、旧墳墓という。本墓の頃の菩提寺は最勝院であったが、その後、建中寺へ移った。
 芦野氏居館跡、館山城跡、芦野城への変遷の中、墓域も移ったものと思われる。
   (那須町教育委員会)

芦野氏旧墳墓入口

芦野氏旧墳墓

正保3年(1646)の月皎院殿五輪塔

五輪塔

芦野氏旧墳墓解説

五輪塔

延宝3年(1675)の昌寿院塔(資俊母)

寛永19年(1642)の白露院殿塔

正保3年(1646)の資泰塔