この地蔵尊は享保12年(1727)9月27日に、河原町・上野町両講中により、祖霊の供養や万病の治癒・安産子育てへの願いを込めて建立されたものである。地蔵尊は本来六道能化の菩薩として六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)を游界し、そこで苦しんでいる衆生を未来が尽きる迄済度するという大誓願を発している仏である。そのことから、姿は菩薩でありながら比丘形で頭髪を剃り、顔も柔和で優しく造られている。そのためか、昔から庶民・特に婦女子の信仰が深まり、様々な願いが地蔵尊に込められるようになってきた。
 河原町地蔵尊は奥州街道芦野宿の南端にあることから、北端にある新町地蔵尊と共に、宿内の安全祈願はもとより、悪疫が芦野宿内に入ることを防いだり、旅人の道中安全、ひいては道中で亡くなった旅人の供養の役目があったものと思われる。
 又、奈良川の橋のたもとにあることや、地蔵尊の台座に 「水」 の刻字があることなどから、水害水難除けの願いも込められていたように考えられる。 このことは反面、道祖神的な役割を、この地蔵尊に託したともみられ、当時は地域の特性や立地条件を考えての建立であったと推測する。
 地蔵尊の供養の祭りは講中の人々に依って引き継がれ、今日では以来270年の歴年を向かえることになる。 お祭りの日には、町内各戸に手造りの燈籠が灯される風習があり、道行く人々を楽しませたものである。 地蔵尊前の広場では盆踊りが趣味の客と講中で催され、近郷・近在の人々で賑わったと言われている。
 御供養の導師は、代々上野町最勝院御住職が勤められている。
 これまで地蔵尊は露座であられたが、平成8年(1996)に至り講中により鞘堂が新築され、ここに安置されている。

奈良川上流域

地蔵堂

河原町地蔵尊 (地蔵菩薩半跏像)

河原町地蔵尊由来