如意輪観音
一面六臂の青面金剛の庚申塔
石仏
二十三夜塔
馬頭観世音碑の横に、草鞋のような形の大きな窪みがある。地元の言い伝えでは、源義経が平家との戦いの後に、兄の源頼朝と対立し、家来の武蔵坊弁慶らとともに奥州街道を通り、奥州平泉へ落ち延びる途中、石田坂にて一休みし、さて出発しようと、弁慶が道端の石を足台にして馬に乗ろうとしたところ、弁慶の重みで石の表面が履いていた草鞋の形に窪んでしまったとされている。
後にその石を三つに切り分け、その一つに馬頭観世音の文字を刻み、街道を往来する荷駄馬の守り神とするため、ここ石田坂に設置したという。
馬頭観世音碑は、以前はこの付近の別の場所に建っていたが、平成10年の那須水害の後に、現在の場所に移設された。
文化4年(1807)の馬頭観世音
側面にある草鞋跡のような窪み
牛像の畜魂碑
旧道が合流する石田坂
弁慶の足踏み石解説