嘉永4年(1851)の馬頭観音・明治9年(1876)の馬頭観音・明治13年(1880)の馬歴神など

余笹川の渡し付近

明治28年(1895)の常夜燈・延享2年(1745)の念佛供養塔・明治27年(1894)の馬頭観音など

 享保年間(1716-36)は、この辺一帯が大飢饉に見舞われ、食べるものが無く 「老人や子供の餓死者が多かった」 と言われている。 その難を逃れる為、熊久保仁兵衛、鴇巣次良兵左衛、松本九兵衛、後藤仁衛門、井上泛兵衛氏らにより話し合い各家を宿として信州の石工、 北原又衛門、原孫七、伊藤万右衛門、北原磯左衛門に依頼して餓死者を供養する為地蔵を建てたと言い伝えられている。
 また、本地蔵は 「イボ」 地蔵とも言われている。毎年8月23日には、講中の出席をえて、子供の成長と家中安全を願って念仏をあげております。      (鍋掛地域車座談議運営委員会)

寺子地蔵菩薩坐像

寺子地蔵菩薩解説

文政13年(1830)の馬頭観音