道標左面
馬頭観世音道標
道標右面
もう一基の馬頭観世音
湯殿山66里、仙台50里、会津24里、那須湯元5里
日光山16里、江戸41里、水戸22里、八溝山6里
馬頭観世音は、荷役として世話になった馬の供養と、旅人の交通の安全を祈り道標として建てられた石仏である。
安永4年(1775)12月、寺子村を施主村として、寺子組25ヶ村のうち14ヶ村が協力して碑を建立したようである。
地元の古老の話では、かって奥州街道富士見峠には2~3軒の茶屋があり、行き交う旅人の休息地であったという。
この馬頭観世音も峠の頂上付近に建てられていたが、保存のため街道景観形成事業により現在地に移された。
(那須塩原市)
一里塚は、江戸時代全国の主要な街道に、日本橋を基点として一里毎にその目印として築かれたものである。 ここ寺子の一里塚は、奥州街道42番目のもので、江戸より42里(約165㎞)の距離を示す塚である。
一里塚は、旅人の目印として、そして休憩地として親しまれていたそうである。 鍋掛の一里塚が慶長9年甲辰(1604)に築かれたことから、寺子の一里塚もほぼ同年に築かれたと考えられる。
最初の一里塚は、現在地から約50m程白河寄りにあったが、小学校の建設と道路の拡張によってなくなってしまった。 現在の塚は、平成7年3月に復元されたものである。
(那須塩原市教育委員会 )
寺子の一里塚解説
富士見峠の馬頭観音
寺子の一里塚跡 (復元)