黒羽藩主大関増業は、自藩と他藩との境界を明らかにするために文化10~11年(1813-14)何箇所かに境界石を建てた。ちょうど増業が大坂城勤務の時で、碑は大阪で造られ船で運ばれた。ここ浄泉寺境内にある標柱には、「従此川中東黒羽領」 と刻まれてあり、背面には、「於摂州大阪作江西横堀小島屋石工半兵衛」 とある。
高さ151cm、幅21cmの花崗岩の四角柱である。もともとこの境界石は、那珂川の左岸越堀宿(黒羽領)側に建てられていた。川をはさんで向こう側は鍋掛宿(幕府領)で、両宿は奥州街道の宿駅であった。大正7~8年(1918-19)頃、保存のために現在地へ移された。

浄泉寺本堂

本堂に掛かる浄泉寺の扁額

不動堂

黒羽領境界石解説

境界石

明治天皇御駐輦之碑

地蔵堂

地蔵堂の子育水子地蔵尊

供養塔