江戸時代、全国の主要な街道に日本橋を起点として一里塚にその目印として築かれた塚で、ここ鍋掛愛宕峠の塚は奥州街道41番目のもので、江戸より41里(約161㎞)の距離を示す塚である。
当時の旅人の目印として、そして休憩地として親しまれていたそうである。「野間の大野家文書」には、慶長9年甲辰(1604)に築かれたという記録が残っている。
もとは、ここより約11mほど東側にあったが、道路の拡張工事等により現在地に移された。(平成6年3月)
また、かつては街道の南側にも塚があった、現在では残っていない。
(那須塩原市教育委員会)
寛文5年(1665)以前の勧請。 昭和30年愛宕神社に元無格社温泉神社と鶏島神社が合祀され、鍋掛神社と改称された。
愛宕とは、火を意味する古語からきているともいわれ、日本各地にある愛宕神社の本社は京都市左京区愛宕町にあり火伏せ (火災を防ぐ) の神がまつられている。
本市の西那須野地区には 「あたご町」 という町名があり、その由来は、町内にある愛宕神社にあるといわれている。
また、塩原地区にも関谷愛宕神社がある。
(鍋掛地域車座談議運営委員会)
建立以来、長年の風雪に耐えて来ましたが、平成23年3月11日午後2時46分、M9.0東日本大震災で甚大な被害を受け、神社拝殿、本殿、鳥居、燈籠など修復工事を行う。
愛宕神社(鍋掛神社)由緒
鳥居補修碑
鍋掛神社復興碑
鍋掛神社本殿
手水舎
鍋掛神社拝殿
鳥居に掛かる鍋掛神社の扁額
杉林の間の細い参道
鳥居
復元された鍋掛の一里塚跡
鍋掛の一里塚解説