野間の大野家文書によれば、延暦16年(797)平安初期の武将坂上田村麻呂が、盗賊高丸追討のため下向し、那須野原茶屋台(現成功山の麓)に布陣した。それより20余町東に大沼があって住民がこの沼の鰻が民を取食い悩ますと訴えたところ、田村麻呂は人夫を集め、沼を堀り抜き干潟とし
「二十尋」 もある大鰻を退治した。
この事からウナギヶ沼と言うようになったという。また掘り抜いた水尻が大沼となって下へ流れず干しあがったので 「ヒサワ(干沢)という也。」 と地名の由緒を伝えている。
この沼は1200年以上も前から常に満々と水を貯え当地の命の水として使われてきたのである。
(鍋掛地域車座談議運営委員会)
街道脇に建つ 「樋沢の大沼」 の看板
樋沢の大沼跡
樋沢の大沼解説