御大典記念青年団小支部 (正面)

聖徳皇太子碑

道標

右経乙連沢〇〇

北市野沢練貫道 (左面)

南中田原大田原道 (右面)

東乙連沢羽田道 (裏面)

 奥州道中から棚倉街道への小滝入口分岐点追分に建てられたもので、材質は安山岩です。大田原宿からは約3㎞のところにあり、棚倉街道は棚倉地方では日光道または江戸道と呼ばれ、奥州道中大田原宿を経由して江戸・日光方面に向かう近路として重要な街道でした。
 正面に「是ゟ左奥州道」、右側面に「是ゟ右たなくら道」、左側面に「南無阿弥陀仏」、裏面に元禄4年(1691)の銘があります。
 寛永6年(1629)8月「紫衣事件」によって江戸幕府の怒りを買った僧、沢庵宗彭と玉室宗珀が流人として流刑の地、羽州上山と奥州棚倉へ護送される途中、この追分口に至りました。沢庵は奥州路、玉室は棚倉路を北へ進むに際し、決別の詩を作り、袂を分かったという歴史的な地点でもあります。
   (大田原市教育委員会)

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道標解説

追分道標

記念物(史跡)道標

左奥州道 (正面)

右たなくら道 (右面)

南無阿弥陀仏 (左面)