天喜5年(1057)源義家が勅令を蒙り父頼義とともに奥羽領国として下向の途次、秋葉山瀬尾(せのお)神社(市杵島姫神)當家は平家であるため脇名秋葉神社に滞陣して戦勝を祈り、東山道を通り当地に向
豊臣秀吉、天正18年(1590)8月奥州鎮定のとき、脇名秋葉神社で那須資晴の子藤王丸が会見し、この道を通り當地に向う。
かさねとは やえなでしこの ななるべし
古来9世紀前半、當地より西に200間の地に瀬尾家居館跡、瀬尾宮跡、居館跡の回りに10社の神々の鎮座の跡が見られる
東山道(旧奥州街道)碑
平家瀬尾家居館跡碑
曽良句碑