郡山先生之碑 (顕彰碑)
堂宇再建入佛供養塔
天和4年(1684)の石燈籠
仏舎利塔
宝篋印塔
七重塔
元禄7年(1694)の建立で、願主は順海上人である。
貞享元年(1684)の建立で、願主は順海上人である。
雨葉山薬師堂は、大田原城四方固めの一つ西薬師と呼ばれ、薬師如来像が祀られる小堂宇を、寛永年中(1624から1644)に大田原氏が再建したと伝えます。宝暦7年(1757)大田原宿の大火により焼失、寛政5年(1793)に大田原庸清(つねきよ)により再建されたものが現在の建物で、修復を重ね現在に至っています。
斗拱(ときょう)は三斗組(みつとぐみ)、三手先(みてさき)の詰組(つめぐみ)となっており、二段の尾垂木(おだるき)を用いた化粧垂木は扇垂木(おうぎだるき)の二重垂木となって、深い
「軒の出」 を構成しています。向拝(こうはい)柱は角柱で四面に細かな彫刻があります。外壁は貫(ぬき)を用いず、欅(けやき)幅広板を柱間に落とし込み横張とし、長押(なげし)付きです。
和様、唐様の様式が混然一体に融合した江戸時代の自由な手法が現れており、江戸中期の寺院建築として特筆されます。
手水舎
薬師堂
薬師堂の龍の彫刻
会田定吉君碑 (顕彰碑)
一石二地蔵尊
薬師堂解説
薬師堂