板谷の一里塚解説

はっきり確認できない西塚

一里塚標柱が建つ東塚

 奥州街道(陸羽街道)は 「徳川実記」 によると、慶長9年(1604)5月に開通したものと記されている。その年に徳川家康は諸国に命じて東海、東山、中山の諸道を修理させ、一里塚を築かせたという。当町には南から、夫婦石、板谷、泉田の三か所がある。板谷の一里塚は、日本橋から44里(176㎞)目のもので、近年、坂の傾斜を緩和する工事で削られ、その全容はうかがえないが道の東西二か所に残存し、当時の面影を残している。
   (那須町教育委員会)