おしどり塚解説

おしどり塚碑

勤王志士・児島強介誕生の地碑

 おしどり塚は、鎌倉時代に無住法師の「沙石集」によって紹介された旧跡地であり、次のような話が伝えられている。
 鎌倉時代のころ、この附近を流れていた求食川(あさりがわ)で猟師が一羽の雄のおしどりを射止め、その首を切り、身体だけを持ち帰った。翌日同じ場所でうずくまっている雌のおしどりを射ると、その翼の下には昨日のおしどりの首がしっかりと抱きかかえられていた。猟師は鳥の持つ愛情に深く心を打たれ、今までの殺生を悔い、石塔を建てて供養したという。
  (宇都宮市教育委員会)

 児島強介は、天保8年(1837)、大町(現一番町)の児島家に生まれ、幼い頃山本焦逸に学び、その後水戸の藤田東湖に学び、勤皇攘夷に志した。文久2年(1862)、26歳で獄中死し、東京の小塚原回向院に埋葬された。

六地蔵幢と九重塔

公園内の東屋

由来碑?