南無阿弥陀仏名号碑

正徳5年(1715)の石仏

不動堂

不動明王が祀られた不動堂内陣

明和元年(1764)の如意輪観音

 清浄山南光院東漸寺といい、街の東北字倉ヶ崎にある。相模国鎌倉郡藤沢宿大本山清浄光寺の末派で、時宗遊行である。天正年中、中興其阿上人天随和尚住職のとき足利左兵衛督源頼氏の命によって今の地において再興をはかった。明治9年3月50世の僧義存のとき放火のため本堂庫裡ことごとく烏有に帰した。東漸寺は、明治の初め悟水校という小学校が置かれたこともあった。
 御維新により職を失った仲間の恩田信之丞と高野信平の二人は話のついでに、お城とお寺とどちらがいつまでも燃え残るかという口論になり、どちらも譲らずそれなら実際にやってみようということになり、喜連川にとっては惜しい建物が焼かれてしまった。馬鹿げた話である。(実話より)
     (昭和60年度喜連川町商工会むらおこし事業)

山門

東漸寺本堂

本堂に掛かる清浄山の扁額

真新しい鐘楼

無縁塔

六地蔵尊

菅谷と刻まれた石燈籠

地蔵菩薩

供養塔

東漸寺由緒

手水舎